なんて素敵な偶然でしょう!

いや、偶然なんかじゃなくて
きっと必然だったんですよね。

頻繁に起きることではないでしょうが
誰にでも起きうる可能性はありますね。

自分にもこんなドラマがあったかな。
気づけていなかっただけなのかもな。
これから起こるのかも知れないよな。

うっかり見過ごさないようにしないとね。

http://bit.ly/2ybVbvl 

小学1年生の冬、体育にスケートの授業がある寒い地域でのことです。
1年生から6年生まで、たくさんの子供がスケートを楽しんでいる中、
私はリンクの端の方で泣いていました。
とても泣き虫で、寒さで手がかじかんでスケート靴が履けず。
身体を動かせないから余計に寒いという悪循環にはまってました。
すると、どこからか知らない上級生のお兄さんがやってきて
「何泣いてるの?」
私が泣きながら、手が冷たくて靴がはけない事を言うと
黙って靴を結んでくれました。

それから28年、すっかりそんな事は忘れ、
泣き虫だった事はひた隠しにして
8年交際した人と結婚、すぐ子宝に恵まれたわけでもなく
ようやく生まれた上の子供が6歳になった頃
私が6歳の時の写真が出てきました。
「ねーねー、私と長男、よく似てるよー」
自慢げに見せた私の写真を旦那が見て

「あ、オレ、この子知ってる、見た事ある」
「え!?」
ぎくっ!!泣き虫だったことバレた!!

「スケートリンクで、寒くて靴が履けないって泣いてたよ、なつかしいな」

私が小学1年生の時、旦那は5年生、お互い同じ小学校でも
「会った記憶がないよね」
と、お互いに気にも留めてなかったのですが

あの時、靴ひもを結んでくれたお兄さんと結婚してました。

via: 初恋の人との素敵な恋の話聞かせてください!! - Yahoo!知恵袋

(人生これだから面白い!)

(Source: haniwa.blog3.fc2.com)

(Reblogged from m0c0m)

313 名前:まい 投稿日:2000/04/04(火) 16:57
幼稚園の頃お絵描きの時間に先生が
「大好きなものを描いてね」といういやに抽象的なテーマをだした。

みんなは、「おかあさん」とか「愛犬」とか「お花」を描いていたが、
私は画用紙一杯に茶色の丸を何個も何個も描いた。

先生の「これ、なあに?」の問いに
「とりのからあげ!」と元気に答えた私。
教室内は大爆笑、「だって、好きなものって言ったやん」と子供心が傷ついた。

その絵を、返却され家に持って帰る事になり
「お母さんも笑うかなあ、」と心配になったが、お迎えに来た母に

「好きなもの、から揚げ描いたら先生も皆も笑ってん…」
ここまで話すのが精一杯で大泣きしてしまった。

母は満面の笑みを湛え「そっかあ!」とその足ですぐスーパーに行き、
鶏肉をいっぱい買って来てその日の夜と、次の日のお弁当にから揚げを入れてくれた。

年子の弟がいたので、「お姉ちゃん」というプレッシャーがあったのと、
食が細かったので、「これが好き」とか「これ食べたい」とかあまり言わない子供だったので
母はすごくうれしかったみたい。

父も「この子は酒飲みになるぞお」とうれしそうにから揚げをたべていた。
期待を裏切らず酒飲みになり、あてはいつもから揚げ、
身長も171センチと大きく元気に育った。

「から揚げの絵」は、いまも大切に実家に保管してある。
おかあさん、ありがとう。

(Reblogged from m0c0m)
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
(Reblogged from m0c0m)

職場の人には年間2000時間も会うのに、大事な人には
週に1回、月に1回しか会えない

大事な人達には後何回会えるんだろう?
大事でもない、大して興味もない人達と年に250回以上会うのに、
大事な人には年間50回しか会えないのだ

何のための文明だろう
何のための仕事で、何のために発展してきたのだろう

(Reblogged from takazest)

shimamura-kun:

“609 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2014/06/12(木)20:18:34 ID:??? ½ 俺は昔、頭がおかしかった。 勉強はそこそこできたんだが、人の物と自分の物の区別がついてなかったり 鏡に映したような左右反対の文字ばかり書いたり、 他人がみんなすごく遠くて、自分には関係ない物みたいに思えていた。 テレビの中の人を見るみたいな感じで 自分以外の全員がそんなふうに思えていた。もちろん親も。 たとえば給食を食ってても、自分の皿と他人の皿の区別がつかない。 その皿が自分の前に置かれてないってことはわかるんだが、 「自分が食べていいもんじゃない」ってことがわからない。 だからたとえば、俺の皿にあるウズラの卵を全部食べてしまって、まだ食い足りないときは 他のやつの皿からとって食べる。 もちろんそいつは文句を言うが、俺は何が悪いかわからない。そんな感じ。 あと食べものも美味いまずいじゃなくて、形や色で判断していた。 赤い食べ物に執着して紅ショーガだけ食ったりとか。 親も教師も知的障害なのかそうでないのか判断つかなかったらしくて 特殊学級行きにはならなかったが しゅっちゅう保健室や図書室で自習させられていた。 610 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2014/06/12(木)20:19:11 ID:??? 2/2 中学二年のとき、その日も授業からハブにされて俺は一人で図書室にいた。 図書室からぼーっとグラウンドを見ていた。 グラウンドでは他の学年のクラスが体育をやっていて、図書室は五階なのでそれが俯瞰で見えた。 当たり前なんだけど、何十人もいる生徒がみんなばらばらに独自に動いていた。 それを見て、俺は「ああ!!」って思った。 その瞬間はじめて俺は、世の中の人間みんながばらばらに動くもので、独自の生き物で みんな違う意識があって、俺とは別の物なんだってちゃんと理解した。 それまでわかってなかった。なんでか知らないけど。 その日を境に、急に俺は普通になった。 完全に普通じゃないのかもしれないけど、人に溶け込んで生きれる程度には普通になった。 今は友達もいるし、彼女もいる。 彼女もちょっと変わった人だけど。 今までこの話誰にもしたことなかったんだけど、最近彼女に話したら 「それはすごくいい話だ。みんなが自然に体得することを、あなたはつかむのに時間がかかったけど つかんだその瞬間をずっと覚えていることで、他人をより尊重できるようになっている」 と言ってもらえて、なんだか泣いてしまった。 俺はたぶん発達障害の一種なんだろうが、同じような人がいたらいいなと思い書いてみた。”

俺は昔、頭がおかしかった 続・妄想的日常 (via gkojax)

(Source: mousouteki.blog53.fc2.com)

(Reblogged from m0c0m)

quote-over100notes-jp:

“僕が看取った患者さんに、 スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。 余命3か月と診断され、 彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。 ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、 彼女がこう言ったんです。 「先生、助からないのはもう分かっています。 だけど、少しだけ長生きをさせてください」 彼女はその時、42歳ですからね。 そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、 黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、 「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。  卒業式を母親として見てあげたい」 と言うんです。 9月のことでした。 彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。 でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。 子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。 奇跡は起きました。 春まで生きて、卒業式に出席できた。 こうしたことは科学的にも立証されていて、 例えば希望を持って生きている人のほうが、 がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が 活性化するという研究も発表されています。 おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある 見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を 活性化させたのではないかと思います。 さらに不思議なことが起きました。 彼女には2人のお子さんがいます。 上の子が高校3年で、下の子が高校2年。 せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと 僕たちは思っていました。 でも彼女は、余命3か月と言われてから、 1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を 見てあげることができたんです。 そして、1か月ほどして亡くなりました。 彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、 びっくりするような話をしてくれたんです。 僕たち医師は、子供のために生きたいと 言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、 彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。 「母は家に帰ってくるたびに、  私たちにお弁当を作ってくれました」 と娘さんは言いました。 彼女が最後の最後に家へ帰った時、 もうその時は立つこともできない状態です。 病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。 そこで僕は、 「じゃあ家に布団を敷いて、  家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」 と言って送り出しました。 ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。 立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。 その時のことを娘さんはこのように話してくれました。 「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。  そのおむすびを持って、学校に行きました。  久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。  昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、  切なくて、切なくて、  なかなか手に取ることができませんでした」 お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。 でも、命は長さじゃないんですね。 お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、 大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。 人間は「誰かのために」と思った時に、 希望が生まれてくるし、 その希望を持つことによって免疫力が高まり、 生きる力が湧いてくるのではないかと思います。”

人間力.com (via irregular-expression)

朝っぱらから泣いた。

(via rip-rabbits)

これは実際にある、というのを身近に体験してますわ

(via nunnungogo)

(Reblogged from crossbreed)

『となりのトトロ』を制作当時、宮崎駿監督は小さな姪御さんをとても可愛がっていて、その子供をモデルとして”メイ”というキャラクターが生まれたようです。「メイのモデルは姪」というダジャレみたいな噂話は昔聞いたことがあったんですが、まさか本当だったとは(笑)。

ちなみに、『トイ・ストーリー3』のアートディレクターとして働いていたピクサー社の堤大介さんは、小学生の時に初めて女の子を好きになったんですけど、その子がメイちゃんのモデルになった女性だそうです(なので、初恋の人は誰かと聞かれると、「『となりのトトロ』のメイちゃんです!」と答えていたらしい)。

やがて堤さんは仕事の都合で海外へ行きますが、「トトロの森プロジェクト」という企画に参加するため日本に帰って来た時、18年ぶりにメイちゃんと再会。なんとそのまま結婚に至ってしまいました!実は『トイ・ストーリー3』にはトトロがゲスト出演してるんですよね。なので、本物のメイちゃんが『トイ・ストーリー3』のスタッフと結婚するっていうのは(偶然とはいえ)運命的なものを感じますねえ(^.^)

(Reblogged from otsune)
naricain:
“ Ai Shinozaki
Check out my Gifs - Naricain
#RunAiRun
”

naricain:

Ai Shinozaki

Check out my Gifs - Naricain

#RunAiRun

(Reblogged from usaginobike)
女性を『からかう』ことは時に飛躍的に仲を向上させる。男「へえ!私服もいいじゃん。似合ってんじゃん」女「えへへ~。いいでしょ~」男「バッグがいいね。カッコイイし、服に合ってる。センスいい」女「ありがと~」男「上げ底の靴も、さり気なく背を高く見せている」女「な/// べつにいいでしょwファッションだし!」男「似合ってるってw でも何というか、『自分のこと美人だ』って思ってそうw」女「なによー!違うっていうのーw」男「別に美人じゃないとは言ってないじゃんw 自覚あんのw?」女 (ぐぬぬ)男「ボーっとしてないで、早く行こうぜ」ホテルやデートに誘うときに、男に付いていく「言い訳」を与える、というテクニックがある。”からかい“のスキルはその源流にあたる。表情や仕草で、あなたのことを良く思っている、というポーズを示しつつ、しゃべる内容で、相手にストレスを与える。恥ずかしい気分にさせる。悪気があるわけではないのだ、という思い、場の雰囲気がシールになって、その気分を彼女自身の中に閉じ込めて、膨らませる。これが長い間知らなかった(そして多くの人が知らないだろうと思われる)、飛躍的に仲を推し進める技術の骨子だ。このスキルを使えない人は、相手との関係構築に時間をかける必要がある。また、このスキルを無自覚に濫用する人は、いわゆる”女ったらし”になる。
(Reblogged from usaginobike)
やんごとなき理由で、社会人になってから過去に住んだ場所の住所一覧を調べる必要があったのだが、アマゾンの注文履歴見ると全部わかるという知見を得た。
(Reblogged from mitaimon)